よく甲子園(高校野球)で言われるピンチの後にチャンスありって、実はそうでもないのではという話です。
甲子園で、よく言われているピンチの後にチャンスありという言葉について考えてみます。
今年のお盆休みは、夏の甲子園をかなり見ていましたが、ふとこんなことを思いました。
ピンチの後にチャンスありっていうけど、論理的におかしいのではないかと。
本日は、このことについて考えてみます。
結論:野球ではピンチの後にチャンスありという論理は、当てはまらない
ピンチの後にチャンスありとは
まずは、言葉の意味から。
「ピンチの後にチャンスあり」とは、守備側のチームがファインプレーをしていい流れになることで、次の回の攻撃でも結果を残すという意味で使われていると思います。
しかし、本当にそうなのでしょうか。
今回は統計をとって検証するわけではありません。(そもそも統計学的に有意という話もあるわけですが)
まず、この説を検証するのが非常に難しいように思えます。
ファインプレーやピンチを定義し、チャンスを定義すれば何らかの結果は出るはずですが、まず野球の回毎の攻撃という特性を考えてみます。
守備と攻撃がはっきり分かれているのが野球なので、基本的には守備のプレーが攻撃とはリンクしません。
もちろん、流れという数値化できないことを語っているので、これが良い流れと表現されれば仕方がありません。
これがサッカーなどの別の競技なら、まだ「ピンチの後にチャンスあり」という意味が分かるような気がします。
サッカーは攻撃と守備が回で分かれていないので、ボールを奪えば攻撃にすぐつなげることができます。
サッカーのピンチをどう定義するかですが、相手が人数をかけて攻撃すれば、守備の人数が減るわけで、その分チャンスになりやすいのは理解できます。
野球の場合は結果論的に語ることもあるかもしれません。
攻撃側のチャンスが発生したことを見て、これはさっきのピンチを乗り切ったからだとつなげているとも言えるでしょう。
いづれにせよ、野球は攻撃と守備が完全に分離しているので、ピンチとチャンスはそもそも別の次元です。
ピンチの後に必ずチャンスが来るのなら、この説は正しいのでしょうが、もちろんそんなことはあり得ません。
ただ気持ちの部分については、ある程度の効果はあるのかもしれません。
守備でいいプレーでピンチを乗り切って、気持ちが高まることによって攻撃でも結果を残せる。
この精神的な部分も数値化が難しいので、これがチャンスにつながるんだと言われると否定はできません。
結論としては、野球でのピンチの後にチャンスありはちょっと鵜呑みにはできないと思います。
天邪鬼な性格なので、つい反対の立場に立ちたくなってしまいます。
ついでに言うと、高校野球の打率についてもほとんどあてにならないと思います。
地方大会でノーヒットの選手でも、甲子園で何度もヒットを打つことがあり得るからです。
これについては試行回数の少なさなのかなと思います。
プロ野球の何百打席を重ねての3割なら、ある程度信頼性があるとは思いますが、そうでない高校野球なら参考程度なのかなと感じます。
だからノーヒットの選手でも、いつヒットが出るかは分からないので、逆に前の打席でヒットを打っている選手の方が、今度は凡退するのではなんて考えてしまいます。
ここまでお読みいただきありがとうございました。