つまらないブログと、面白いブログの違いって何だろうという話です。
日常で、web検索をして調べ物をする際に、ブログに到着することが多々あります。
自分もブログをしているので、そういう時は調べたいことの記事を見た後に、そのブログのトップページに行って色々な記事を見ます。
当然ながら、面白いものもあれば、つまらないと思うものもあります。
今回は、自戒を込めて、ブログに求めるものって何だろうということを考えてみます。
結論:他者の気持ちを考える作業なのかも
つまらないブログ
自分のブログもそうだろという感じはありますが、自分がつまらないブログだなぁと思ってしまうことについて書いてみます。
- 同じような記事が続いている
比較的、更新が多めだなと感じるブログでも、同じようなテーマの記事が続いているとあまり読みたいとは思いません。
例えば、Netflixの記事があるとして、Netflixの登録の仕方、Netflixの解約の仕方、Netflixのお得な楽しみ方みたいな記事が連続で上がっていると、記事の更新が目的のように感じてしまいます。
1つの記事にまとめたらいいのにと思ってしまいます。(ブログ更新したい気持ちはよくわかります。)
多分、連続して同じテーマで書くよりも、色々な記事を書いた上で、同じような記事になる方がまだいいのかなと思います。
とは言え、テーマがなんでもみたいな雑記ブログがいいのか悪いのかはよくわかりません。
いづれにせよ、テーマはよく考えた上で書くことが大事なのでしょう。
- 情報が薄い
Wiki風まとめブログにありがちですが、情報が薄いなぁと思ってしまうブログもまた訪問しようとは思わないです。
〇〇 評判みたいなキーワードで、こういうまとめ風ブログがトップに出てしまうこと自体が悪いとも言えるのでしょうが、独自性もエッセンスとして必要でしょう。
独自の視点がないのなら、記事数で勝負ということになるのでしょうが、そうなると個人のブログでやる意味というのがあまりないような気がしてしまいます。
個人的にはブログを書いている人の、人となりが分かるようなブログの方が親しみやすいのかなとは思います。
- 否定が多い
これはこの記事にも言えるのでしょうが、否定が多いブログもあまり面白いとは思いません。
もちろん、否定すべきものがのさばるという状況は是正すべきとは思うのですが、それを全面に押し出すブログというのも疲れてしまう気がします。
少しズレますが、〇〇のようにはなりたくないと言いながら、同じようなことをしているブログとか目にすることがあります。
自己矛盾しているなぁと思いますし、結局名前出したいだけなのかなと感じてしまいます。
否定だけではなく、そうならないために何が必要かを明らかにできるといいのかもしれません。
とあるブロガーが事実に反する中傷を受けて、法的措置を取るということを発信すると、その中傷した人間は謝罪したそうです。
そのブロガーが気に食わないなら、無関心が一番なのではと思います。
ここまでの内容をまとめると、面白いブログは様々な記事があって、内容も充実していて、他者を否定するだけではないということになるでしょうか。
他人が何を求めているかを考える
大事なことは、読み手がどんな気持ちで読むかを考えることなのだと思います。
趣味の一環でブログをやっているだけなら、自分の気持ちをありのままに出していいとは思いますが、アクセスやその他の何かを得ようとするなら、読み手を第一にすべきなのでしょう。
とあるサービスが便利かどうか知りたいユーザーをターゲットにするなら、その周辺情報についてもまとめた方が便利でしょうし、最後の一押しをする存在であるのがいいのかなと思います。
当然ながら、万人に好かれる人やメディアも存在しないですが、だからと言って努力しなくていいということではないのかなと。
自分のブログにも改善点はたくさんあると思いますが、まずは他人がどう思うかを意識して誰かの役に立つブログでありたいと思います。
ここまでお読みいただきありがとうございました。