改めて自分の一生を振り返ってみる
株式会社ホワイトコンサルの寺畑勇人です。
自己紹介の記事は昔書いたのですが、かなりあっさりしたものだったので、しっかりと書いてみます。
気がつけばもう32歳になってしまい、本当に色々なことがありました。
少し長くなってしまうので、お時間のある時にでもどうぞ。
結論:32年を振り返ると、本当にたくさんのことがあった
自己紹介(高校卒業まで)
私が生まれたのは1988年の1月で、場所は東京でした。
板橋区の有名な団地で6歳まで過ごしました。
東京の記憶はほとんどなく、当時ゲームのドラクエ5が話題になっていたという微かな記憶ぐらいです。
20年後くらいに、出張のついでに東京の通っていた保育園に行ってみたのですが、やはり何も覚えていませんでした。
6歳から母の実家でもある鹿児島の田舎に引っ越し。
阿久根市という人工は2万くらいの小さな市でした。(悲しいですが、どんどん過疎化が進んでいく)
鹿児島では、水がかかった時に「いっちゃ!」と言うのですが、これがカルチャーショックでした。
やはり鹿児島の方言って独特だよな~と思います。
小学校・中学校はほぼ同じメンバーでした。
小学校の時は、スポーツクラブとかには通っておらず、読書が大好きでした。
小学生では、家でゲームにハマっていました。
ファミコンとスーパーファミコン、ゲームボーイもやっていました。
スーパーファミコンで好きだったのは、バハムートラグーンとドラクエ5です。
ポケモンの赤緑やテリーのワンダーランドも好きでした。
中学校ではバスケ部に入部しました。
入部動機は、部活に入らないといじめられるという今考えると、よく分からない理由でした。
そしてバスケはみんな中学生から始めるという、消極的な理由でした。
バスケはめちゃくちゃ下手くそで、辛かったのですが、仲間に恵まれて楽しい毎日でした。(その後15年ぶりくらいに、バスケ熱が急に加熱して、NBAなどをYouTubeで見るように)
その頃プレステも購入して、ひたすらゲームもやっていました。
グランディアや、FFシリーズ、サカつく、アークザラッドもハマりました。
中学生の頃に本格的にHIPHOPにハマり、KICK THE CAN CREWを聴くようになりました。
高校は隣の市の高校に進学。
特に何も考えずに選択しました。
高校では部活はしないつもりだったけど、先輩が少ないという理由もあり、バドミントン部に。
バスケよりはバドミントンの方が自分には合ってたかなと思います。
勉強はもちろん好きではありませんでした。
なんだかんだで、理系のクラスに進みましたが、センター時に文転。
しかし、どこにも受からず、浪人することに。
高校時代は黒歴史も多いような気がして、今思い出すと恥ずかしいことも多いです。
ただ、新しい出会いというのが多く、世界が広がった感覚がありました。
予備校の2年間(2006年~2007年)
予備校の話は別に記事にしているので、そちらに譲ります。
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結果、2浪の末、神戸大学の経営学部に合格しました。
予備校時代の経験って今でも覚えていて、濃密な2年間だったのかもしれません。
大学時代(2008年~2012年)
2浪していたこともあり、ストレートで卒業しないと思っていました。
関西に住むことになりましたが、あまり関西のカルチャーに驚くことはなかったかもしれません。(よく三宮に行きました)
予備校時代は寮で、大学になって初めての一人暮らしは楽しかったです。
長い夏休みには昼夜逆転もしていました。
ただ、大学での人付き合いは苦手でした。
1~2回生の頃は、とにかく授業に出て、頑張っていました。
それが3回生の後半とかは徐々に適当になってしまい、なんとか単位が集まったという状況でした。
アルバイトもしていましたが、もうちょっと色々やってみても面白かったのかもしれないなと。
バイトも学業もある意味中途半端でした。
就活でもアピールできることが少なく、ゼミの中でも内定が出るのが一番遅かったと思います。
社会に出てみると、もっと大学の授業を活用出来たと思えます。
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社会人 (経理マンとしての8年間)
①メーカー経理(2012年4月~2015年3月)
新卒で入った会社が、一番しんどかったです。
社会人としてのマナーも知らなかったし、経理のことも何一つ理解していませんでした。
そんなダメ人間でも、きちんと育ててくれた会社には感謝しています。
しかし残業時間も多く、休日が全然楽しくありませんでした。
本当に何が楽しみだったんだろうというレベルです。
インターネットで動画とか、まとめサイトとか見ることぐらいだった印象です。
精神的にもしんどくなり、退職することを決めてから、転職活動を開始することに。
残業時間を減らすという明確な目標を掲げ、転職。
メーカー経理や、労働時間の多さから経験を積むことができ、それが評価されると初めて分かりました。
上場会社の子会社の経理に転職することに。
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②商社経理(2015年4月~2019年9月)
色々な発見がとにかく多かったです。
やはりひとつの環境しか知らなかったんだという驚きがありました。
経理ってこういうことかという経験もあり、すごく成長した感触がありました。
残業時間も減り、家も会社に近く、とにかく時間が増えました。
とは言え、その時間で何かしたかと言われると微妙ではあります。
資格についてはFPやTOEICなど勉強しましたし、ただ何か足りないような感じもありました。
途中でニンテンドースイッチを買い、ゼルダに感動したのは覚えています。
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会社の同僚も年齢が同じくらいの人もいて、楽しく過ごしていました。
今後を考えても、特に問題はなさそうで、この会社にいて不満はないようにも思えました。
ただ、このままこの会社にいて成長できるかと言うと、それはNoでした。
結果、またしても退職を決意してから、転職活動を始めました。
30歳を過ぎると、マネジメント経験が重視されると実感しました。
今振り返ると、自分のやりたいことがあまり明確ではなかったように感じます。
結果、ベンチャー企業に入社することになりました。
③ベンチャー経理(2019年10月~2020年5月)
ベンチャーでの経理は8ヶ月という短い期間になってしまいました。
しかし、色々な発見がありました。
例えば、メール文化ではなく、チャット文化というのは楽だったし、服装も自由でスーツを着ない期間が続きました。
経理の部分でも、今まであまり考えていない論点もあったり、気付きが多かったです。
年齢としても、自分よりも若い人もいる環境で、今の若い人ってこういうことを考えているのかと思うこともありました。
どの会社もそうですが、非常に優しい人が多かったです。
自分が本当にやりたいことって何だろうと考えていました。
起業というのはなんとなく考えていて、それを実行に移すのは今しかないと思いました。
本当に勝手ながら、会社を辞めることを決意しました。
株式会社ホワイトコンサル設立(2020年6月)
そうして、設立したのが株式会社ホワイトコンサルです。
一人社長で、全て自分で作り上げます。
会社の理念は、もっと会社が楽しいと思える人を増やすことです。
そのための取り組みの一つが、毎日残業ゼロです。
自分は、就活の時からホワイト企業に就職したいと思っていました。
そう思いながら、なんとかとあるメーカーに就職しましたが、経理は激務でした。
当時、電車で会社に通っていましたが、電車の中や駅でも会社員の人はみんな疲れているように見えました。(自分自身もそうでした)
この思いが強かったので、なんとかホワイト企業を増やしたいという気持ちになりました。
とあるYouTubeの動画で、人生がギャグに過ぎないという趣旨のコメントがありました。
確かにその通りだと強く思いました。
自分自身が失敗しようが、恥をかこうが、全部死ぬ時にはギャグになるだけです。
それなら、全力で自分のやりたいことに取り組んで、全力で散るそれでいいと思っています。
とにかく、自分の経験や知識を誰かの役に立てたいという気持ちです。
それによって、少しでも多くの人が会社で働くのが楽しいとか、これなら続けられるという気持ちになれば、これに勝る喜びはありません。
例え、失敗したとしても、これを教訓にしてくれる人がいるならそれでいいです。
失敗こそ、大切な財産なのだと思います。
会社の概要や提供するサービスについては、別途記事を書くことにします。
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自己紹介について、また追記しようと思います。
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ここまでお読みいただきありがとうございました。